本日7月26日(金)、台湾映画『流麻溝十五号』が公開。
せっかくのタイミングなので、同じ白色テロという題材をホラー映画のパッケージに落とし込んで2019年に台湾で大ヒットした映画『返校 言葉が消えた日』のジョン・スー(徐漢強)監督インタビューを貼っておきます。
こちらは2021年の日本公開時に「wezzy」に掲載されたものなのですが、サイトクローズにあたり、編集部より再録の許可をいただいていたものです。
台湾の負の歴史と向き合い大ヒット
異色ホラー『返校 言葉が消えた日』監督インタビュー
(「wezzy」2021.07.30掲載)
おいしい食べ物や、どこかノスタルジックな風景。おまけに親日家が多く、人が優しい。そんな癒しのイメージで人気の台湾だが、ほんの35年前――1987年まで言論の自由が制限されていた。
太平洋戦争後、大陸から国民党と共にやって来た外省人に対して本省人(台湾人)が反乱を起こした1947年の「二二八事件」」を引き金に、台湾では49年から38年間にわたり「戒厳令」が布かれ、政府が反体制的な人々を弾圧。多くの人が投獄、処刑された。その弾圧は「白色テロ」(中国語では白色恐怖)と呼ばれ、社会は不安と抑圧された空気に覆われた。
映画『返校 言葉が消えた日』は、そんな時代の空気を色濃く反映させた学園ホラーだ。
戒厳令下の1962年、ある高校で、一部の教師と生徒による「読書会」が迫害を受ける。密かに集まり、禁じられていた自由を謳う本を読んでいたのだ。誰が彼らを密告したのか? 次第に、その謎に秘められた少女の悲しい青春と、読書会メンバーがたどった運命が解き明かされていく。
台湾の負の歴史をテーマにしながらも、2019年に台湾で台湾映画第1位となる大ヒットを記録。大きな反響を呼んだ。自由にものが言える世の中になりさえすれば、人々は本当に自由なのか? 7月30日の日本公開を前に、ジョン・スー(徐漢強)監督にオンラインでインタビューを実施。監督が語る、若い世代が歴史に向き合っていく意義とは。
<最も恐ろしいものは現実に起きた恐怖>
――『返校』は大ヒットしたホラーゲームが原作です。映画化するにあたり、ゲームにあった要素を取捨選択して映画の柱を決めると思うのですが、どういう意図で歴史をテーマにすることにしたのでしょう?
原作のゲームをプレイする前は、1960年代を舞台にしただけのホラーゲームだと思っていたのです。ですがプレイしてみたところ、背後にある歴史的テーマに惹かれ、ゲームをしない層にもこれを知ってもらいと思いました。確かに、ゲームにある全ての要素を映像化するわけにはいきませんでしたが、核心部分は何かと考えた時に、やはり歴史だという判断に至りました。
――劇中に登場する怪物の造型や怖がらせ方など、人間のネガティブな感情を具現化したような演出が恐ろしいと思いました。ホラー表現でこだわったことは?
歴史をテーマにしているとはいえ、もともとはホラーゲームなので、原作のゲームと同様の抑圧的で恐ろしい空気を再現しなければと考えていました。
ゲームが成功しているところは、当時の世の中の重苦しい雰囲気を利用して新しいホラーの演出を作り出したことです。最も恐ろしいものは、幽霊や怪物ではなく、現実に起きた恐怖です。登場人物が直面した恐怖を、悪夢という形で再現していた。ゲームをプレイしている時に、私自身が最も心地悪く、恐ろしいと感じたポイントがそこだったので、映画でも同じ手法を用いました。
――「白色テロ」は、決して大昔の出来事ではなく、この時期を経験した人や被害者の方々も多くご存命です。この大勢の人が苦しんだテーマを扱うことに怖さはなかったですか?
「白色テロ」を扱った映画は、過去にも巨匠たちが撮っています(1989年『悲情城市』のホウ・シャオシェン監督や1991年『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』のエドワード・ヤン監督など)。あの世代にあった「話題にしてはいけない社会の空気」みたいなものは今はもうありませんが、新しい世代の監督として「どんな視点であの歴史を描くのか」という別の挑戦を迫られました。実際に白色テロを経験しているわけではないので、当時のことをよく知るために、多くの人に取材するなどフィールドワークを行って臨みました。
――出演者を連れて、白色テロの被害者やそのご家族を訪ねたとか。
私は別の編集作業の都合で行けなかったのですが、あとで録音を聞きました。なぜ投獄されたのか、投獄される前に何があったのかなど、より詳細な話を聞くことで、当時の社会全体の雰囲気をつかみたいと思ったのです。
――そうした取材を経て、当初の脚本から大きく変更した点があるとすれば、どういうところですか?
被害者と被害者家族への取材を通して、当時の彼らの「心境」を知ることができたことは、私にとって大きかったです。経験していない私たちにとっては、映画や小説の中の話のようでしたから。
印象的だったのは、人生のほとんどを獄中で過ごした人でも、家族との手紙などのやり取りを見ると、「必ず生きて牢を出て、家族と再会するのだ」という前向きな気持ちを持ち続けていたことです。その気づきが映画の中で生かされたのは、後半のチャン先生と生徒のウェン・ジョンティンが刑務所で別れるシーンですね。
最初の脚本では、2人とも非常に昂っていて、チャン先生については最後まで抵抗し続けたという風に描いていました。でも取材を通して、実際の被害者たちは意外と落ち着いた様子だったと知ったのです。刑場に連れていかれる者を、残される仲間たちが歌を唱って見送ることもあったと聞きました。
結果的に、変更したあとの演出のほうが、より胸を打つ場面に仕上がったと思います。
<歴史と向き合うことで開ける未来>
――「過去を忘れない」「自由に生きて欲しい」という若者たちに向けたメッセージが強く打ち出された作品に仕上がっていたと思いました。どんな思いを込めたのでしょう?
「白色テロ」の犠牲者たちは、自分にまだ未来があるのか、理想とする世の中が来るのか分からない状況でも、生きていこうとする強い意志を持っていました。
なぜそんなことができたのか、私は不思議に思いました。取材を通して様々な理由が見つかりましたが、最も心をつかまれたのは、「生きて自分たちが経験したことを次の世代に伝えたい」という声でした。だからこの映画では、そのメッセージを特に強調したのです。
歴史と向き合い、なぜあのような犠牲が生まれたのか、なぜあのような苦しみが生まれたのか理解しなければ、新しい「未来」は開けない。過去の傷から逃げていては、いくら開放された社会になったといっても、真の自由は訪れないのです。
――日本は自国の負の歴史に向き合うことが苦手だと感じます。監督のように、実際に当時を経験していない若い世代が、歴史に向き合う作品を作る意義をどのように考えていますか?
台湾の人が全員歴史と向き合えているかというと、そうではありません。「向き合って反省すべき」と言う人もいますが、「水に流してこそ前に進める」と考えている人もいる。こうした議論があるからこそ、私はこの映画を通して「歴史と向き合う」というメッセージを送ることが大切だと思いました。
実際に「白色テロ」を生き延びた世代には、自分たちの経験したことを客観的に分析し、理解することは難しいと思うのです。歴史というものは、絶えず新しい世代によって再解釈されていきます。私たちが当時のことをどのように見つめ、当事者たちの証言からどんな新しい意義を見出だすのか。それが若い世代があの負の歴史を振り返るべき理由だと思います。
「忘れたの? それとも思い出すのが怖い?」とこの映画は問いかける。“臭い物に蓋をする”ではなく、しっかりと負の歴史に向き合い、自由の尊さを訴えたこの作品の意義は大きい。
そのメッセージ性に目がいきがちだが、ホラー映画として、また多感な少年少女が主役の青春映画としても優れたエンターテインメントであり、台湾で10代から白色テロを経験した50~60代まで幅広い層を動員した(監督談)というのも頷ける作品だ。
Profile
ジョン・スー(徐漢強)
世新大学ラジオ・テレビ・映画総合学科の大学院を卒業。2005年のテレビ映画デビュー作「Real Online」で、台湾最大のテレビ賞である金鐘奨の最優秀監督賞を最年少で受賞し、過去の短編作品は、ロッテルダム国際映画祭に出品されている。